映画 SING/シング: ネクストステージ

久しぶりにCGアニメ映画を見たが、すごかった。イルミネーション、2021年製作。以下、ネタバレ注意。

ショーを完成させるのは、これまでの経済を動かしていた富裕層ではなく、その舞台に勇気を出して一歩踏み出した民間人。どれだけ評価がなかったとしても関係がなく、その時、その場で最高を演じられる者が成功者となっていく、まさにこれからの時代を表したアニメだった。財産や地位や名誉をどれだけ所有しているかは関係がなく、それらは裏で見えない存在たちが舞台全体をサポートし、かかる費用については従来の富豪がすべて賄ってくれるという前提のもとで動いていく。

民間人の中には、落ちこぼれたかつてのスターや、富裕層の2世も含まれる。彼らに悪意はない。二極の中でそれぞれ演じていた者たちが、それぞれの個性を生かして、互いに差別することなく共に演じる。もちろん、悪役、正義役、全てが存在するが、それによってレッテルを貼られることはない。ただそこで、演じるだけ。

その舞台は、今でいうラスベガスの一角の高級高層ホテル。経営する富豪はアヌビスのような出で立ちの社長で、黄金のエジプトを思わせる豪華なショーを監修している。世界全体をプロデュースしていた富豪たちが築いた金融、資金などのお金をベースとした旧社会のやり方に取って代わり、今後は愛や調和がエネルギーの主軸となって世界が構築されていく様が、ありありと描かれていた。

この流れに乗ることができるのは、その準備をしてきた者。そういう話はここ数年間でずっと出ていたが、ここまではっきりと明確に見せられると、ついにきたか!と思わざるを得ない。これはただのアニメではなく、まさに今のリアルな時代を表している。

これまで古い地球の在り方に縛られた生き方をやめ、全く新しい自分を開放して生きることがとても大事なんだね。軽やかな人たちは、それがスムーズにできる。でも、旧社会をしっかり生きてきた者にとっては、変容することを求められる。それには、心に寄り添い、勇気を出してその負のループから抜け出す覚悟がいるかもしれない。でも、その先にかならずその人が輝く世界が待っている。どんなあなたも受け入れられ、そして、みんな違ってみんないい世界。個性がそのまま認められ、受け入れられ、評価される世界。そんな世界が、もう間近に来ているんだと感じた。

足枷は既に、外されている。そして、あなたを引き留めるものは何もない。あなたが光の方に意識を向けて、そのまま進んでいけば、開かれた世界が見えてくるだろう。一人一人が光の方へ自らの足で進んでいく時なのは、間違いない。

自分の中に、引き留めるものを感じたら、一旦立ち止まってその感覚に寄り添ってみてほしい。答えは自分の中にあるし、それらを無視しなくていい。しっかり感じて、それをやめるときだと思えたとき、必ず次のステップに進むことができるから、諦めないでほしい。そう思える映画でした。

私はどうしたいのか。そうだなぁ。ゴリラ役かなぁ笑。正義になりきれない光、みたいな笑。あでも一回燃え尽きているので、ライオンかもしれない。正直なところ、どこかに自分を無理やり当てはめようすることに対する違和感も感じる。これまで数年間、カルマを外し、欲を外し、自我を終焉に向かわせてきた。闇を見つめ、心に寄り添い、魂の自立を望んで生きてきた。だから、もしかしたらわたしは、観客役ですら出演しないかもしれない。

どこか遠くの、別の宇宙に存在したっていい。全く別のシナリオで、全く別の感覚で生きていたっていい。みんな違って、みんないいんだから。宇宙は広いんだよ。誰かに常に監視されないといけないルールなんてないけれど、一人でいるのもつまらないね。だから、仲間を増やすことって大事なのかもしれない。そのためにはもっと自己表現が必要だね。

SDGsを筆頭に、これからますます表舞台が構築されていくだろう。一人一人が本当の自分の宇宙を見出し、表現できたら素敵だね。内なる情熱が溢れ出し、仲間たちとそれで楽しく過ごせたら最高だなぁ。

今回、かなりの節目を感じる。外を見ず内のみを見る。その世界観の中で生きる勇気をください、と宇宙にオーダーしてみる。私は何を顕現したいのだろう。何を体験したいのだろう。どうしたいのだろう。最近、ずっとそんなことばかりに意識が向いている。白昼夢のような、青い鳥のような、とりとめのなさ。といっても、ふわふわしたものではなく、むしろ、シャキッとする感じ。自分を生きるって、答えを外に求めようがないので、微量の魂の震えを捉えていく作業の繰り返し。いつ来るかわからないし、ジャッジメントしようにもできない。そんな感覚で私は今を生きているけれど、もう少ししっかり形にしていきたい。

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