自分の内側にある闇を真正面において向き合う決心をする。やり始めるまで勇気がいることだけれど、それらはほぼ思い込みでモンスターのように大きくなっているだけで、実際中身を見てみると、その中に宝物のような光があって、逆に、歓喜や至福を経験する。そんな体験を繰り返すと、今まで何だったんだろうと拍子抜けする。最近、そんな体験ばかりが続く。
人間の三大欲求、睡眠、食欲、性欲。これらも本来の心地よい健康を保つための重要な行為だけれど、こういったネガティブや闇が消えていったなら、欲を満たさなくても、疲れ知らず、病気知らずの世界が広がっていってもおかしくない。
一方、外側の何かに対して依存することのリスクが浮き彫りになってきた。恋愛、セックス、買物、ゲーム、SNS、酒、ギャンブル、薬物などに依存する行為は、本来の自分の闇と向き合うことからの回避になるため、いつまでたっても解決しない。依存しなければしてもいいと思うが、もしそこから抜けられないとしたら、ドーパミン中毒の沼に陥っている可能性がある。
ドーパミンは、苦しみと至福の両方に働きかける神経伝達物質だそうだ。どちらもおなじように機能するらしい。一見、苦しいと思っていても、それは実は至福と感じているのだ。誰も好きで苦しみたくはないと思っているかもしれないが、身体は好きで苦しんでいるという解釈になる。だから、二極のどちらを体験したいかを選ぶことは重要である。また、至福に浸り続けていると、若干の苦しみでも極限に苦しむようになり、苦しみの耐性がどんどん減少していく。そうして苦しみの一切を受け入れられなくなる。その逆もしかり。
依存はそういった娯楽だけのように思うが、仕事面におけるワーカホリックも完全に中毒状態だよ。その後くるのは燃え尽き症候群で、早かれ遅かれ、うつ病の世界へいざなわれる。だから、人間が働かなくていい世界がやってきたとき、間違いなくワーカホリックたちは自分を見失う。それはそれは、とても苦しいよ。一体誰が、ブラック企業で働いている苦しみが快感だと理解できるだろうか。でも真実は、そこに就職している人が、好きで、そうやっているんだよ。
今後、ネガティブだけ、ネガティブとポジティブの両方、ポジティブだけ、この3パターンの世界のいずれかを個人で選ぶことになるような気がする。皆が平等に与えられている権利であり、誰も他者の選択を否定することはできない。あなたなら、何を選ぶだろうか。私はポジティブのみの世界を選ぶ。どれがいい、悪いはないから、皆自由に選んでいいんだよ。
これからどんな世界を創造したいと問われたら、誰しも、敢えて争いのある世界を構築したいとは思わないし、自分からネガティブを経験し続けたいとは思わないから、自分が好きな世界を構築するのは簡単だと思うだろう。だけど、よくよく自分を内観していくと、これまでネガティブは自分が選んでいたのだと知る。他人や外のせいにしていた自分を理解しておかなければ、今までと何も変わらない世界を体験することになる。でもね、それも間違いではない。誰にも強制はされないから。
悪がいるから正義の勝利を経験できるし、病気になることで、その逆の生き方が本来魂が喜ぶ生き方なのだと知った。そんな風に、これまでの世界で体験して学んできたことを反面教師で映し出し、弥栄の世界を構築していくと決意できた者が、次のステージへ進むのだろう。この世はそのための学びで、それを終えると決めたときから。
私は、愛と至福の世界を垣間見、経験した。しかしそれは3次元ではなく、己の内側の世界において。それが自分本来の光だった。だから今度は、物理次元における全てをポジティブに捉えなおす作業をしていきたい。内側でやっていたことを、そのまま外側でやればいい。それが己の見ている世界観の創造に繋がり、必要なものを引き寄せていくんだと思う。
やっと、これまで体験してきた重いものたちを、勲章と捉えなおすことができるようになってきた。この感覚が長い間理解できなかったんだ。闇を愛する感覚が。