先日、仲良しの野良ネコ先生がネズミを咥えて玄関先までもってきた
ひとしきりどや顔でご披露された後、玄関前に放置したまま、翌朝無残な姿となっていた
虫が大量に湧いているので、早急に大家に電話して撤去をしてもらった
数日後のある日、玉虫色の虫がひっくり返って死んでいたのを見た
それを何気にみていると、ああ、これが自然の形なんだな、と、
南無阿弥陀仏も、供養しなきゃもなく、ただそこに屍が転がっているだけで、
自然の一部と化している
ねずみさんも自然の一部として見れるはずだけれど、あまりにグロいのでまじまじとは見なかった
そういえば、虫の屍は虫がわかないんだな、とふと思った
なぜか、バターにはありんこが湧くが、マーガリンにはありんこが寄り付かないことを思い出した
バターもマーガリンも、地面に落としても供養なんてしないよね笑 当たり前だけど
ねずみはたぶん、他界して真っ先に光に上がっていったのだろうと思う
虫も同じく
バターもマーガリンも同じく笑 そもそも魂がないわい
人間だけが、他界してすぐに上がらず、うろうろしている??
何か未練があるのだろうか
意識が現世に繋がったまま、納得して離れられないんだと思う
心配か、執着か、何かしらの理由によって
それか、生きている側が掴んでいるか
それだけ、人の意識って繋がっているんだね
肉体を超えて
すべてを許し手放し、軽やかになることって、とても大切なことなんだと最近改めて思う
それは、生きている間にも大いに関わること
こういうことを考えると、何が重要で、何が不要かが見えてくる
一人一人がこれに向き合えれば、もっと楽に生きられる時代がくるんじゃないかな
今までの地球は3次元の重みの中で生きてきたかもしれないが、
これからの地球は、この軽やかさのフィールドにまで次元を上げてきている
これに適した人でないと、今後はこの新しい形態の地球に生まれるのは難しいかもしれないね
ゆったりとした中で、自分と向き合う時間を大切に、日々過ごしていきたいものです