天に昇れば

良いものや、必要なもの、大切にすべきものなどを、無碍に扱ったり、その逆を言ってみたりするというのは、少なくとも、それらの良いものの影響を受けている

何かクローズアップされたり、そちらに全体の流れが傾こうとする時、その流れを止めるかのように働くそのエネルギーに良し悪しなどはなく、むしろバランスを保つためのとても自然な動きである

本来のこの惑星の陰陽は、光と影、朝と夜、というような、全生命体が共通して影響を受けているもので、それ以上でもそれ以下でもない

当然のようにその陰陽の中にいて、いつのまにか二極という分離にまでどっぷりと浸っていたようです

今、その流れが濁流となって流れていて、その水量は増している

人為的な二極の濁流は、人のエネルギーを動かすための意識とエネルギーであり、悪用すると洗脳やコントロールの温床となりうるもので

純粋に良いものや必要なものまで、その認識が変わってしまうほど繊細な領域にいます

その人にとっての主観的な判断であって、全生命体にとって不可欠なものではないかもしれない、というささやきから、

もしそうだとしたら自然な形で淘汰される可能性がある、とまで妄想してしまうリスキーな状態です

ただの幻想だとしても、その先に決定があると、いいものも悪いものも一色多に淘汰されゆくならば、その流れに巻き込まれないようにエネルギーの洪水から掬い上げるようにして、大切なものをまるごと、心地よい場所へと避難できるといいのではないか

 

それが天に昇るということ

山の頂上を目指すということ

次元上昇ということ

そういう時代が来るから準備しておいてね、と、もう何十年も前から言われていたが、その具体的で詳細な意味までは、ここまでは分からなかった

心を整えて、身辺を整えて、ちゃんとそれらを統合して、調和しておくとよいと思います

基本は、自分自身を大切にすること
他者は自分の投影ですから、自他共に、つまり、すべて、です
仕方ない、で、あきらめないで
今ほど、すべてを愛するということが大切なときはない、と感じます

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