イベルメクチン ストロメクトール

いや、わたしも買ってはいるのですが、一度も飲んでいません。症状もないのでその必要はありませんでしたが、持ってみて、それで、飲む気がしないのです。人に勧めることもためらっていました。MSD製です。

説明書を読むと、副作用に、申し訳程度ですが、妊婦に影響ありと、あったのです。たとえ数%でも、奇形が生まれてくる可能性が高まると。それで、こりゃあかん、となりました。

世の中はイベルメクチンで英雄になるだのなんだの、盛り上がっていましたね。実際、インドではこれ飲んでころ騒動収束させてますから。ころ騒動の強制終了剤。社会によく効きます笑。

イベルメクチン反対派はそんなに見かけなかったかなぁ。まあ、賛成派も見かけなかったけど。

とある情報です。自己責任でご参考になさってください。

寄生虫を除去するためにイベルメクチンのような抗寄生虫剤の毒が使われまが、イベルメクチンは動物用です。

イベルメクチンの毒性は寄生虫の筋肉を硬直させるため寄生虫は食べることができず死にます。寄生虫を殺したら早めに重金属などを蓄積している寄生虫を体外に排泄することが重要です。

イベルメクチンは動物用ですが、人体実験も行われており、
長期使用、繰り返し使用による臓器障害、生殖障害、胎児障害が報告されています。
5kg未満の5歳未満の幼児への使用は勧められていません。

イベルメクチンの致死量 (LD, Lethal Dose)
50mg/kg (肝臓のうっ血でネズミ死亡)
200microg/kg (0.2mg/kg) (人の治療上の致死量)

病状を抑えることの危険性
イベルメクチンは3-キモトリプシン様プロテアーゼを破壊し、体の浄化と解毒作用を止めてしまうので、発熱、鼻水、その他の症状が止みます。しかし病状を抑えることは治療ではなく、むしろ有害です。

それは、ちょうど足首を捻挫したとき、アスピリンで痛みをとめて歩き続けるようなものです。足首の痛みはなくなりますが、捻挫が治るのではないので歩き続けるとさらに足首を悪化させることになります。

(中略)

一般にインフルエンザと呼ばれているものは、健康を回復させるための自然界の最も強力な方法の一つである。- ハーバート・M・シェルトン博士 (Dr. Herbert M. Shelton)

解毒のプロセスは体力(エネルギー)を消耗します。それで風邪で寝込むことになります。体は全力で解毒を行っています。すべてのエネルギーを解毒に使うので食欲もなくなります。食べると消化にエネルギーが分散されるのでそれだけ解毒のプロセスが阻害されます。

医師も患者も、治療が苦しみを増やし、長引かせ、死をもたらすことにどれだけ責任があるか、ほとんど気づいていません。医師は『体力を維持するために栄養のあるものをたくさん食べなさい』という彼らの誤りに気づいていないのです。インフルエンザの合併症として、せん妄、痙攣、腹膜炎、肺炎、胸膜炎、心臓病、睡眠病などが挙げられていますが、これらは、食事や薬物療法をした人に発症します。

ひどい風邪でも、インフルエンザでも、肺炎でも、まずは食事を止めることです。急性症状が治まるまでは、水以外の食べ物は絶対に禁止です。どんな種類の薬も使ってはいけません。

ベッドに入り、安静にする。暖かくしなさい。休息、断食、暖かさ、これらが必要です。部屋には新鮮な空気をたくさん取り入れ、ベッドに横たわっていれば、合併症や後遺症もなく、短期間で快方に向かうことができます。

治療は必要ありません。熱、炎症、咳などが治癒のプロセスです。ただ、そのプロセスを邪魔をしないようにして、その仕事を完了させればいいのです。自然を助けようとしないでください。自然はあなたのちっぽけな助けを必要としていません。自然はただあなたが余計な干渉をするのを止めるよう求めているだけです。

病気の体に有毒な薬を入れて治そうとするのは、泥水で服を洗ってきれいにしようとするのと同じくらい意味のないことです。

(中略)

政府やメディアは、「イベルメクチン」の危険性を指摘しインチキコロナ疫病に「イベルメクチン」の使用を認めていません。

そもそもコロナウイルスなど存在しないので「イベルメクチン」のような毒物を使う理由は存在しません。むしろ合成薬はどれも症状を抑える毒であり、体の解毒作用の妨げとなる毒にすぎません。

イベルメクチンは、政府も主要メディアが禁止する薬だから、逆に効果があるなどとみるべきものではありません。単に不要で有害な毒にすぎません。

https://mms12.jp/index.php?ivermectin

コロナ騒動とは、何だったのか。始まりと終わりがあり、概念であり、アトラクションであった。長年仕組まれた舞台の上で、まさに茶番劇によって現象化されたものを、各自はどのように受け取ったのだろう。ある世界観の中にはまっている人たちにとっては地獄であり、試練であり、障壁であった。実体のない豊かさ、幸福感に浸る者たちの一部は、生身をもって体験することであらゆる幻想から目が覚めた。体験したにもかかわらず、何も変わらず生活している人たちもいる。一人一人の生身で感じたことがその人の答えであり、その答えは人の数だけ存在する。それを見ていると、どこまでも事象は中立であることがわかる。特にこの日本では、法律によって強制されることはなかったために、反応に関しては自由を与えられていた。

私の場合、このアン・フェアな現象化を起こす側の意図をキャッチしていたので、特にこの騒動に対してはいかなる情報を見ても断固無視していた。恐れを煽る情報や、絶望を装う不自然なニュースなどは特に。そのうち、これが何年も前から準備されていたことも知った。恐れるべきは、ウイルスではなく、彼らのそうした意図だった。畏敬の念で恐れるべき自然界の流れを、意図的に施されたという感じだった。

地震が来るぞ!気をつけろ!と警告し続けている人たちは、陰謀論者として無視され、市民権を得ていなかった。自然災害級な流れを止めるには、大勢の意識が集まらなければ不可能なのである。これは起こるべくして起きた事象であった。さっさと目を覚まし、みんなで一致団結して未来に繋げていくべき時であることに気づく人が増えれば、次は防げるだろう。

私は今回、苦しんでいる人を助けることもなければ、菌を防御することもない。批判されることもなければ、罵声を浴びることもない。称賛されることもなければ、感謝されることもない。ごく普通の穏やかな日常を送っていた。事前に防ぐことができるのに、何年も発信している者がいるのに、それに一切耳を傾けずに、刹那的な享楽にふけり、心を亡くし、地位と名誉を守るために忙しくし、社畜のように何かしらの中毒になっている者たちを擁護するよりも、生身で体感して気づいてもらうにはどうすればよいのか。信じて見守るしかない。

肥料をやりすぎた植物に病害虫が湧くのと同じで、一通りエネルギーが暴発したら、徐々に落ち着いてくる。そうした頃には生身の感覚に戻っているはず。それが騒動が終息する合図だろう。

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