思考癖を変えていく ②餓鬼に施しを?

宗教の言葉は難しすぎて、私はどうもうまく扱えない

そのうちの一つが、餓鬼に施しを、という言葉だ

もともと仏教由来で、以前坐禅に通っているときに食事前に米粒数粒を食事前に回収する習慣があったことで知ったが、生まれが四国なだけあって、供養の一種であるから生活の中に当たり前のように溶け込んでいた

自分に余裕がなくても人にエネルギーを与えるのを無意識でやってしまい、疲れているのにもかかわらず、人に遠慮したりするので内面で怒りが溜まり、それで身体を壊した
ああ、自分は餓鬼に施しすらできないのかと、不毛な努力の末にバーンアウトし、負のスパイラルの中で彷徨うこともあった
お金がないという人にお金を上げることもしばしば…自己犠牲が過ぎ、いつでも他者を優先する生き方しかできないと、本気で死が早まるようで

そんなことは仏教で何も言われなかったなぁ
宗教の言葉通りに生きても、なんだかうまくいかないばかりか、窮屈すぎてウケる
他力本願や自力本願で悩まされたし、もうわたしは宗教と波長が合ってなさすぎる笑

だいたい、餓鬼は人間でないから施しが必要であってね
人に施しだなんて、それはとてもおこがましいことだよ
人を餓鬼扱いしているだなんて、失礼にもほどがある
他者にそんなことする必要ないんだよ

私にとって、餓鬼の世界は存在しないようだ・・・
上も下も同じなのに、現世でやってうまくいかないのなら、もうその考え方いらなくない?

信仰心がないわけではなく、律儀にやってもうまくいかないのだ
アクセスバーズで不要認定されたのなら、もう気にしすぎなくていいんだろうなぁ

案外、気にしないほうがすべてうまくいったりして笑

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