発達障害?

自分には精神疾患があります
私は今、仮にその前提で生きています

変ですか?
でも、みんな少なからず人と違っていて、変なところがあります
誰が正しくて、間違っているとか、ありませんので
それを個性といいますが
私的には違和感があります

さて、その中でもこの自己愛性人格障害という病名は
自分で最も気づきにくいらしく
そして本人が認められないので
治癒することが難しいとされているようです

だからいったん、私は自分がこれだと仮定して受け入れてみたわけですが
経営者とか、独立心のある人に多いようですので、多分当てはまるであろうと
私の場合、言ってしまいますが親の影響が大きいです
この際、人のせいにしていいから、そうであることを認めました

そうしますとね、私は人から好かれていない、愛されないというものがあることに気づき、
その感覚が人を寄せ付けないようにしていました
いつも一人で孤独ですが、その原因は
人が近づいてこれない壁を私が高く高く構築しているからのようです

自覚が一切ありません
人との調和がとれているのに取れていないと錯覚している?
人に既に好かれているのに何も思われていないと錯覚している?
人に寄ってきてほしいと思っているのに誰も寄ってきてくれないと錯覚している?
言ってしまえば、孤立しているというのも錯覚でしょうね
助けられているのに、助けられていることに気づけない、
だから感謝もできない、最悪です
全部、認知の歪みです

なんでこんなことが起きているのか
すべてをネガティブに捉えているのはなぜか
特に、人間関係において

壮絶なトラウマがそこにありました
しかし、私はそれをトラウマであるとすら捉えられていない状態でした

私は建築会社の中小企業の社長の父に、すごい剣幕で怒鳴られる中で育ちました
仕事に関しては特に、戦争状態の中でやるものだと認識していたし
仕事というものは大変なのだ、戦わなければできないのだ、と
それが当たり前で認識していました

自営業なのでね
それが当たり前だったのです

時が経ち、家を出て、独立し、別の社会で生きていると
それがおかしいことに薄々気づき始めます

みんなで喜びを分かち合っている人を見たとき、ショックでした
何故私はそう生きられていないのだろう、と
漠然とした、つかみどころのない嫉妬と、切望と、憧れを感じました
とても遠い世界観・・・まさに、天国ほどに遠い

長い間感じていたのに、この感覚に蓋をしていました
どうしようもないから
そして、完全にそのことを忘れていました

そして現在、なぜかこの疾患が目につき、徐々に思い出してきていて
えぐられるほどの胸の痛みがきています
本気で辛かったことを昇華させる時がきたんだ、ということを悟りました

本当は何を望んでいたのか

人に頼っていい
人に甘えていい
人に助けられていい
人に養われていい

これから少しずつその経験が増えるように感じます
だから今私は、未来に対して希望しか感じません
こんなこと、想像もしていなかった

ありのままの今の自分のままでいい、何も変えなくていい、努力しなくていい

これまで関わってくれたすべての人にもう一度会う機会が与えられたなら
違う自分ではなく、このままの自分で接して喜びで共振できたならと思います

今でもご縁のある方々にいつも感謝しています
本当に、この時代に会ってくれて、ありがとうね
みんな大好きだよ

これを投稿しようかどうか、正直迷いました
なぜなら、不要な過去の記憶は出してこなくていいからです
ただ重くなるだけですから

だけれど、だれも私の世界観の責任は取ってくれません
そのしわ寄せが身近なところに現れているのを見ると
もう、解放してやっていい案件なのだということなのですよ
他者に投影されたものを自分だとして捉え、癒し、他者をも解放することが
互いにとって真の幸せへの道なんだと思います
その人が本当に大好きな存在ならなおさら、
自分に関わる人たちを愛したいなら、
本気で自分を愛するしかないのです
他者に投影した自分の闇を回収して
自分を愛せたとき、はじめて他者を愛せるのだと思います

日に日にどんどんよくなっていく
奇跡は毎日のように起こり、広がっていく
そのことに今日も感謝いたします

カテゴリー: 未分類 パーマリンク