どんなありかたで生きる???

え、これから、群れを成すの?
鳥?魚?
いや、確かにサラリーマン時代に目指していたのはプレイングマネージャーだったけれども
恒星になるんだ
光る在り方ってこと?

あり方というか、光をつなぐ方がしっくりくるけど

なぞすぎる・・・しかし・・・おもしろい笑 

しかしあれだね、よくもまあ見えないものが見えないままにこの世界に入ったものだ
直感のみでここまで来ているのだから人ってすごいよね
適当だなぁ笑 

風が強い・・強いというか、そのレベルが不自然
自然界の浄化が進んでいるようです

相変わらず野良猫が玄関内で爆睡している
ご飯はどこかで食べてきたのかな?
帰宅と同時に、おかえり~なんて言って一緒に家に入ってきて
毛づくろいしていたら嵐が来たからびっくりするわ
大雨嵐の直前に避難してきたっぽい
さすが、動物の勘。

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独り言

意識が別の人のところへいく

なんだこれ

外してくれ

もう開放してくれ

詐欺はもうやめてくれ

・・・あ、夢か。

マインドはすべて幻想

それは分かっているが

意図していないことが起きる事の方がホラーだよ

あそうか

3次元上ではそうだったね

体感や結果は置いておいて

わたしは確かにあなたが大好きだ

そのエネルギーコードが絡まっているんだな

ただそれだけのことじゃん・・・ほっ

・・・いや、素粒子レベルで見たら

衝突が起きた後の結果は

衝突が起きる前の前提と全く区別がつかず

それを検証する必要性すらない

なぜなら、自己同一性がないから

肉体を持った状態で意識がそうなっているのがそもそも変なんだけど

それが物理的であり量子的な世界

そんなバカなことがあるか

何もしたくなくなるよね

こんな結果が望めない世界なんて

人は結果を求めて行動しているというのに

状態が全て

一喜一憂も外す

エネルギーも使わない

それはエゴのささやかな反抗のようにも見える

だって、それって、生きているうちに入るの?

入らないなら、私は死んでいるのか

え、いつの間に死んだのか

死んだら思い出そうと思っていたんだけれど、今思い出した

光へ迎え

フォトンの方向へ

鎧を脱いで

壁を越えて

光源であれ

恒星であれ

この瞬間を輝きの中で生きることがすべてだよ

おいおいおい、本気で死んだのか?!

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決めたこと

存在自体は認められているけど、その枠からはみ出ようものなら批判されるという同調圧力がとても苦手です。根底に人の真似をしたくない、コピペしたくない、私は私の意見があるので一緒にしないでほしい、という感情があるからですが。

しかし、同調圧力をしてくる人に否はなく、むしろ、自分自身が原因だったりします。

存在を認めるというのは、どんな自分で認められたいか。ここが自分で設定できていないことが多いです。ありたい自分でありさえすれば、いくらでも認めて!といえるが、人に合わせて遠慮した在り方で認められれば、それはいずれ、怒りを生み、全てを壊すでしょう。

そう、これが私がやっていたことです。もしそうしていたら、自分こそが他者に対して同調圧力をかける人となってしまう。そしてそれに、全く気づいていない。はい。ごめんなさい。

本気の自分で生きたい。

その自分を認めてくれる人とだけ関わる。

それが誰か、もうこだわらない。人に対する全ての執着を手放す。

これまでの愛しい人たちに、さようならを。

そして、新たな世界でお会いできるならば、どうぞよろしくお願いいたします。


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新しい世界の始まり

思いっきり、内側から溢れる愛の動機で動いてみたい。

作りたいのはこんな世界で、あんな世界でと、私の過去の記憶や好みなどで選ぶのではなくて、ちゃんとハートや魂から湧き出るエネルギーでクリエイトさせたい。計画も、何もいらない。ただ、ハートがちゃんと作動しているかどうか。それだけチェックしておく。

周波数は意図的に設定するのではなく、自由にさせてやりたい。その時感じた素直な反応を大事に愛おしく思いながら。これは自分を信頼できていないと、できない。そして、愛がなければできない。ジャッジしたり、分析したり。いいじゃん、それで。と流せない。

精神体や感情体を解放させてやること。それが本来のわたしのままでいられるポイントなのではないか。

すごく当たり前のことを書いているかもしれないけれど、このシンプルさでいいんじゃないかな。

最初に繋がった世界は、沖縄、自然、解放、レムリア、宇宙。そんな世界だった。そこは美しい世界。もちろん、一人でこれを体験しているのではなく、真逆。現実世界でいっぱいいる。見えない誰かに牽引されてなされているにしても、私自身が体験したいと望んだとしても、共同創造しているには変わりなく、多次元的な存在も関与しているし、それは生きている人間であったりもする。もうその境界がわからなくなっている。区別する必要もなければ、切り捨てる必要もない。ただ、自分が、そこで体験している。

今この時点で、過去の自分のハイヤーセルフになっていることに気づいた。創造主にブチ切れていたあの頃の自分が、美しい世界を体験したいんだ!って決めてそうなっている今を思うと、明らかに昔の自分が見ているものと異なるものを見ている。しかも、多次元的に自分が各階層に居て。じゃあじゃあ。さらに上の自分はどういう感じかな?

すべての次元を内包していて、安定している。愛を外に求める行動は一切なく、愛を含む全てが内側に存在していることを完璧に知っているため、何の恐れも抱かずやりたいことをすいすいとこなしていく自分がいる。パワーゲームに頭を悩ますことは一切なく、エネルギーを使いこなしている。自分が批判していた錬金術なども。今までの嫌悪感は何だったんだろう、という感じ。だけれども、肉体からは離れておらず、相変わらずハートからの情熱に突き動かされている。それがなんとも心地よく幸せ。至福。ずっとそうしていたい。まわりには細かい光があって、まるで銀河のよう。荒さはなく、ネガティブさもなく、他人のせいにもしていない。全てが流れるようにうまくいっている。調和している。

淡々と活動している自分だが、人との関わり合いは常にあり、そして悩んでいない。すごい。共働創造を楽しんでいて、その相性がいい人たちと一緒に活動しているような感じ。一緒にいて心地よくて、信頼していて、そして、いつも新たな価値観を生み出すことができる。それは一人ではできないので、とても楽しいんだと。

3次元的にチームを組んで勝つ、という感覚ではない。もっと精妙で透明なもの。もたらすその価値によって、すべての存在の根源が笑顔になるような感覚がある。だから、昔の輝いていた頃の自分よりも、満足感があって、様々な面で波動が格段に高くなっている。比較するわけじゃないけど、自分がこうなるなんて予想もしていなかった。

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地に足をつけているのに

今現実に体感している感覚について正直に言うと、今この時点で私は本当に生きているのかどうか、怪しいと感じている。いや、生きているんですよ!だってこうしてブログに書いているし、公園に行って桜を愛でてきたし、写真を撮ったし!そんな強く主張しなくてもいいのに、なぜか不思議な感覚を抱く。

…ああ、これは春分前の無意識の何かしらの私の周波数が合っているのかな。いったん恐れを外して受け入れてみよう。何も怖いことないよ。エネルギーはとても繊細で軽い。精妙。

この存在は、この美しい地球が大好きで仕方がなく、毎日を至福で生きていて。自然の植物や動物たちと共にこの瞬間を共に生きていることに喜びを感じていて、今でもそれを感じ続けている。喜びと幸せの中で毎日を過ごしている。その愛おしさで涙が止まらない。

これは自分だ。幼少期の記憶。魂の記憶?

話しかけたら、虹色のエネルギーが噴出してそのオーラが広がっていった。すごいキレイ。

フィルターがかかっている?いや、逆に外れたのかも。これが本来の感覚??

いったい何が起こっているのだろうか。

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