志を持って生きることの大切さ。今日は、日々の生活の中で引き寄せてくる現実にブレがなくなるにはどうしたらよいかについての考察です。

私たちの身体は、霊体というエネルギー体が肉体に宿って動いていて、本体は霊体です。体験したいことを創造するために心や魂が肉体と連動して初めて自在に生きることが可能ですが、どうしても意識や精神性に集中しすぎて身体が最後になりがちです。精神を集中しているお坊さんとかヨギが、瞬発力のある行動をしているイメージはあまりないですよね。ですが、仏教の言葉で身口意という言葉があって、願望を実現していくにあたってまず最初に整えるべきは身体であるとしています。

最近、天人統合禮法という身体の使い方のコミュニティに入り、それを日々実践しています。エネルギー体、霊体を保有した器としての肉体をどのように扱えばよりよく生きられるのかを調べていた時に出会いました。礼法のようなお辞儀をすることで身体を整え、その状態を前提に日々を生きていくというのは、他者と調和したままですべてがうまくいく流れに乗ることができる、いわばゼロポイントに肉体をチューニングすることと同義なのだそうです。

天人統合禮法 (sui-hassen.com)
”禮法とは、ゼロに戻すための方法です。プラスやマイナス、日々浮き沈みが激しい現代社会において、フラットでニュートラルな状態というのは貴重です。波があっても、それを戻せること。自分の精神的な波や感情の波、そして人生を通しての波をコントロールすること。一度、立ち戻れる場所が自分のニュートラルであり、ゼロポイントフィールドです。いわば、ゼロ磁場を自らの内部に創り出し、それを世界に波及すること。これが禮法で得られる効果と言えます。” (抜粋)

昔から日本人は当たり前にお辞儀をしていました。目上の人には深いお辞儀を、親しい仲の人には軽くお辞儀をするのが一般的です。これは実は、ゼロポイントに身体を整える行為だったのですね。なるほど、エネルギー的な流れを滞ることなく流すことを国民全体が習慣化している国が他国から恐れられるのも無理はありませんね。

他者との調和をとても大切にしたいという思いが最近、より高まってきました。エネルギーや霊体のことを知れば知るほど、その世界は私たち人間すべてに関わる事であり、この世のいのちの繋がりに影響していることを体感するようになりました。もう、物質主義には戻れない。少しずつですが、霊主肉従の生き方にシフトしていっています。

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映画 SING/シング: ネクストステージ

久しぶりにCGアニメ映画を見たが、すごかった。イルミネーション、2021年製作。以下、ネタバレ注意。

ショーを完成させるのは、これまでの経済を動かしていた富裕層ではなく、その舞台に勇気を出して一歩踏み出した民間人。どれだけ評価がなかったとしても関係がなく、その時、その場で最高を演じられる者が成功者となっていく、まさにこれからの時代を表したアニメだった。財産や地位や名誉をどれだけ所有しているかは関係がなく、それらは裏で見えない存在たちが舞台全体をサポートし、かかる費用については従来の富豪がすべて賄ってくれるという前提のもとで動いていく。

民間人の中には、落ちこぼれたかつてのスターや、富裕層の2世も含まれる。彼らに悪意はない。二極の中でそれぞれ演じていた者たちが、それぞれの個性を生かして、互いに差別することなく共に演じる。もちろん、悪役、正義役、全てが存在するが、それによってレッテルを貼られることはない。ただそこで、演じるだけ。

その舞台は、今でいうラスベガスの一角の高級高層ホテル。経営する富豪はアヌビスのような出で立ちの社長で、黄金のエジプトを思わせる豪華なショーを監修している。世界全体をプロデュースしていた富豪たちが築いた金融、資金などのお金をベースとした旧社会のやり方に取って代わり、今後は愛や調和がエネルギーの主軸となって世界が構築されていく様が、ありありと描かれていた。

この流れに乗ることができるのは、その準備をしてきた者。そういう話はここ数年間でずっと出ていたが、ここまではっきりと明確に見せられると、ついにきたか!と思わざるを得ない。これはただのアニメではなく、まさに今のリアルな時代を表している。

これまで古い地球の在り方に縛られた生き方をやめ、全く新しい自分を開放して生きることがとても大事なんだね。軽やかな人たちは、それがスムーズにできる。でも、旧社会をしっかり生きてきた者にとっては、変容することを求められる。それには、心に寄り添い、勇気を出してその負のループから抜け出す覚悟がいるかもしれない。でも、その先にかならずその人が輝く世界が待っている。どんなあなたも受け入れられ、そして、みんな違ってみんないい世界。個性がそのまま認められ、受け入れられ、評価される世界。そんな世界が、もう間近に来ているんだと感じた。

足枷は既に、外されている。そして、あなたを引き留めるものは何もない。あなたが光の方に意識を向けて、そのまま進んでいけば、開かれた世界が見えてくるだろう。一人一人が光の方へ自らの足で進んでいく時なのは、間違いない。

自分の中に、引き留めるものを感じたら、一旦立ち止まってその感覚に寄り添ってみてほしい。答えは自分の中にあるし、それらを無視しなくていい。しっかり感じて、それをやめるときだと思えたとき、必ず次のステップに進むことができるから、諦めないでほしい。そう思える映画でした。

私はどうしたいのか。そうだなぁ。ゴリラ役かなぁ笑。正義になりきれない光、みたいな笑。あでも一回燃え尽きているので、ライオンかもしれない。正直なところ、どこかに自分を無理やり当てはめようすることに対する違和感も感じる。これまで数年間、カルマを外し、欲を外し、自我を終焉に向かわせてきた。闇を見つめ、心に寄り添い、魂の自立を望んで生きてきた。だから、もしかしたらわたしは、観客役ですら出演しないかもしれない。

どこか遠くの、別の宇宙に存在したっていい。全く別のシナリオで、全く別の感覚で生きていたっていい。みんな違って、みんないいんだから。宇宙は広いんだよ。誰かに常に監視されないといけないルールなんてないけれど、一人でいるのもつまらないね。だから、仲間を増やすことって大事なのかもしれない。そのためにはもっと自己表現が必要だね。

SDGsを筆頭に、これからますます表舞台が構築されていくだろう。一人一人が本当の自分の宇宙を見出し、表現できたら素敵だね。内なる情熱が溢れ出し、仲間たちとそれで楽しく過ごせたら最高だなぁ。

今回、かなりの節目を感じる。外を見ず内のみを見る。その世界観の中で生きる勇気をください、と宇宙にオーダーしてみる。私は何を顕現したいのだろう。何を体験したいのだろう。どうしたいのだろう。最近、ずっとそんなことばかりに意識が向いている。白昼夢のような、青い鳥のような、とりとめのなさ。といっても、ふわふわしたものではなく、むしろ、シャキッとする感じ。自分を生きるって、答えを外に求めようがないので、微量の魂の震えを捉えていく作業の繰り返し。いつ来るかわからないし、ジャッジメントしようにもできない。そんな感覚で私は今を生きているけれど、もう少ししっかり形にしていきたい。

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自分の本来の光

自分の内側にある闇を真正面において向き合う決心をする。やり始めるまで勇気がいることだけれど、それらはほぼ思い込みでモンスターのように大きくなっているだけで、実際中身を見てみると、その中に宝物のような光があって、逆に、歓喜や至福を経験する。そんな体験を繰り返すと、今まで何だったんだろうと拍子抜けする。最近、そんな体験ばかりが続く。

人間の三大欲求、睡眠、食欲、性欲。これらも本来の心地よい健康を保つための重要な行為だけれど、こういったネガティブや闇が消えていったなら、欲を満たさなくても、疲れ知らず、病気知らずの世界が広がっていってもおかしくない。

一方、外側の何かに対して依存することのリスクが浮き彫りになってきた。恋愛、セックス、買物、ゲーム、SNS、酒、ギャンブル、薬物などに依存する行為は、本来の自分の闇と向き合うことからの回避になるため、いつまでたっても解決しない。依存しなければしてもいいと思うが、もしそこから抜けられないとしたら、ドーパミン中毒の沼に陥っている可能性がある。

ドーパミンは、苦しみと至福の両方に働きかける神経伝達物質だそうだ。どちらもおなじように機能するらしい。一見、苦しいと思っていても、それは実は至福と感じているのだ。誰も好きで苦しみたくはないと思っているかもしれないが、身体は好きで苦しんでいるという解釈になる。だから、二極のどちらを体験したいかを選ぶことは重要である。また、至福に浸り続けていると、若干の苦しみでも極限に苦しむようになり、苦しみの耐性がどんどん減少していく。そうして苦しみの一切を受け入れられなくなる。その逆もしかり。

依存はそういった娯楽だけのように思うが、仕事面におけるワーカホリックも完全に中毒状態だよ。その後くるのは燃え尽き症候群で、早かれ遅かれ、うつ病の世界へいざなわれる。だから、人間が働かなくていい世界がやってきたとき、間違いなくワーカホリックたちは自分を見失う。それはそれは、とても苦しいよ。一体誰が、ブラック企業で働いている苦しみが快感だと理解できるだろうか。でも真実は、そこに就職している人が、好きで、そうやっているんだよ。

今後、ネガティブだけ、ネガティブとポジティブの両方、ポジティブだけ、この3パターンの世界のいずれかを個人で選ぶことになるような気がする。皆が平等に与えられている権利であり、誰も他者の選択を否定することはできない。あなたなら、何を選ぶだろうか。私はポジティブのみの世界を選ぶ。どれがいい、悪いはないから、皆自由に選んでいいんだよ。

これからどんな世界を創造したいと問われたら、誰しも、敢えて争いのある世界を構築したいとは思わないし、自分からネガティブを経験し続けたいとは思わないから、自分が好きな世界を構築するのは簡単だと思うだろう。だけど、よくよく自分を内観していくと、これまでネガティブは自分が選んでいたのだと知る。他人や外のせいにしていた自分を理解しておかなければ、今までと何も変わらない世界を体験することになる。でもね、それも間違いではない。誰にも強制はされないから。

悪がいるから正義の勝利を経験できるし、病気になることで、その逆の生き方が本来魂が喜ぶ生き方なのだと知った。そんな風に、これまでの世界で体験して学んできたことを反面教師で映し出し、弥栄の世界を構築していくと決意できた者が、次のステージへ進むのだろう。この世はそのための学びで、それを終えると決めたときから。

私は、愛と至福の世界を垣間見、経験した。しかしそれは3次元ではなく、己の内側の世界において。それが自分本来の光だった。だから今度は、物理次元における全てをポジティブに捉えなおす作業をしていきたい。内側でやっていたことを、そのまま外側でやればいい。それが己の見ている世界観の創造に繋がり、必要なものを引き寄せていくんだと思う。

やっと、これまで体験してきた重いものたちを、勲章と捉えなおすことができるようになってきた。この感覚が長い間理解できなかったんだ。闇を愛する感覚が。

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言葉にできない

自分を奮い立たせて、新地球で生きることに必死に照準を合わせている。

霊的な世界の太陽として一人の心のオアシスとなるか、愛や思いやりを広げていきたいと願う自分を生きるか。斜め上から、それは同時に叶うと言われた。

表の自分は魂の自分、裏の自分は霊的世界での自分。裏の自分は前世の記憶でつながった相手から見せられる自分。表の魂の自分は今世生きると決めて生まれてきた自分。その両方が自分であることを受け入れようとすると、多次元にならざるを得ない。しかも、どの自分も今経験している。ここに時系列はあるのだろうか、いや、ない。

人の脳はいかにマルチタスクかを知った。なるほど、通常脳の5%しか顕在意識で使用していない意味がわかってきた。量子的な使い方ができるんだね。人ってすごいね。

どんな役割でも同時に叶えられるという奇跡を経験してみたい。できるらしいから。

これを読んで、この子大丈夫?と思われた方のために、補足を。こういう作業は例えば、自分が置き去りにした幼い頃の子供心だったり、インナーチャイルドと言われるものだったり、そういうものを癒すことに繋がります。どんな存在でも見捨てずに寄り添うというのは、結局全て自分に還ってくるんです。すべては自分の投影なので。それがどんなに普通じゃない世界だとしても、映し出しには変わりがない。そうやって、全てを受け入れていくと、世界が広がっていきます。精神を癒すって、なかなか難しい。自立して、自分の足で立ち、安心して一歩歩き出せる勇気が持てるなら、やる価値はあると思います。

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幻想

もし、あなたの愛している人の妄想癖が強くて、本当の自分を見てくれない場合、あなたはどうしますか?多分、ほとんどの人が別れることを選択すると思います。ただ、それが5次元でつながるツインレイだった場合どうしますか?

1度も顔を合わせて、話したことがない。ほとんどその人を知らない。知っているのは、過去世の記憶のみ。あと、エネルギー交流のみ。求めても出会えない上に、出会ってもすれ違い。ホログラムがまるで違っていて、物質界で出会うことが許されない。

3次元で大きなトラウマの傷が癒される愛を経験できなかった私は、5次元での出会いで助けられたのは事実です。お互いの需要と供給がほぼマッチし、それが霊的世界で具現化してしまった。もうこれを真実として捉えるしか、仕方がないのです。だってどうしようもないんだもの。

お互い求めているけれど、精神的なもので大満足している。現実は全く伴わない。今のその人がどんな人なのか知りたいと思うのは、おかしいだろうか。その人自体を愛することは、おかしいのだろうか。私は今の現実を生きている人間だといいたい。魂の記憶が再生されているが、今世では男女が入れ替わって現実世界で再現されていることに気づく。トラウマが壁となって、役割が逆になって経験している。全く鏡のようで、まるで自分を見ているような錯覚になる。私は相手に脱帽する。よくそこまで受け入れられたな、と。あなたはどうする?それを問われ続けている。

私は今世、いろんな世界観を閉じてきました。終わらせてきました。過去世の記憶の世界観、古代文明、あるいは異次元の意識体の情報。私たちの身体には様々な情報が入っていて、それを経験していた。それをカルマの解消だとして刈り取ってきたけれど、仕組みを理解してからは、そこに呑まれることがなくなった。ただ、大切な記憶、愛した人、そういうものは、どこまでも永遠に続く輝きがある。

それらをどこまで終わらせますか?私はいつも、これを考えて生きています。今現実に体験していることも、あるストーリーなのかな、と。こんなことを考えていると、この世は捨てたもんじゃありませんよ。なんて素敵なワンダーランドでしょうか。どうせ経験するなら、楽しみましょうか。同じ阿呆なら、踊らなソンソン♬というやつですね。

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