胃腸炎

妹の誕生日に彼女に連絡すると、数日間、吐き気によって食べ物が食べられない状態で衰弱していた。おいしいランチでも食べに行こうかと思っていたのだけれど、胃腸炎とはかわいそうに。見るに見かねて、ランチの代わりに、秘薬を勧めた。

次亜水。え、消毒液じゃないの?と思うかもしれないが、これがよく効くのよ。人が飲んでも死にはしないどころか、あらゆるウイルス性の不調が治る。8年前くらいに初めて飲んでから、風邪は一度も引いていないし、体調不良によって体がだるくなることも一度もない。それからというもの、たまにお世話になっている。イベルメクチンよりかは勧められるかな。

私はたまに飲んでいるので、少々飲んでも吐き気も頭痛も起きないが、初めて飲む人はそれなりの断末魔の叫びを聞くことになるかもしれない。でも大丈夫。その叫び声は、宿主のあなたのものではなく、体の中の奴らの声だから。好転反応は激しいかもしれないが、その分、後を引かずに回復する。

妹は、切羽詰まっていたんだろう。嫌な予感がしつつも、本当に取りに来た。その勇気は認めよう。水で薄めて、コップ一杯飲んでもらった。帰り際に、家のトイレの近くにいてね。とだけ告げた。

それから数時間後、LINEですっかり良くなって、数日ぶりに美味しく食べられたという連絡が来た。すごい効いてんじゃん。その経緯を聞きたくて、折り返し電話をした。

やはり飲んだ後は、とんでもない吐き気が来たけれど、その一度で、すっきりしたらしい。そのあと、食べ物を食べられるようになり、食欲も増した。すごい効き目だ。子どもから移ったけれど、子どもよりも先に回復していた。とりあえず、よかった。

ちなみに、自分で飲む人は、しっかり情報収集して自己責任で飲んでくださいね。医療による処方じゃないので好転反応含めて、飲んだ後の自分の面倒を自分で見る必要があります。初回で本格的にやろうとしている人は、少なくとも、胃や腸の中を空っぽにしてから飲むことをお勧めします。体の細胞すべてがデトックスを要求したとき、下痢、吐き気、頭痛総出でやってくるので、できるだけその負担を減らすためにも。

感情や思考のブロックにも注意を向ける必要もあります。飲むのが怖い、危険を感じる、飲みたくないと思っても、続けるくらいの意志の強さと打破力が必要です。先にこうなるよ、と大げさながらにいうと、余計に怖いけれど、知ったうえでやっても、嫌になるときありますから。思い切ってサレンダーしてください。どんな形で出るかは、人によって異なります。

症状によっては、長期間飲み続けた方がいい場合もあるでしょう。1時間に1回飲むとか、濃いめを飲むとか。その人の体調や症状、体力などを見ながら、随時工夫していく感じです。体や細胞と会話しながら、都度最適を選んでいけば、よい結果が得られると思います。

こういう、生きてるねぇ~。と感じられる経験も、ありがたいですね。

生きてるって、素晴らしい^^。

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島唄

あれから気になって、島唄の由来を調べてみた。

”「島唄(しまうた)」は
本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。

91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは
沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。

そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、
本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で
大勢の住民が犠牲になったことを知った。

捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。
極限状況の話を聞くうちにぼくは
そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)
の中にいるような造りになっている。

このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると
ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。
この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。

「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」

という下りだ。

「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが
この部分は本土で使われている音階に戻した。
2人は本土の犠牲になったのだから。”

https://kwsklife.com/shimane-meaning/

最後の部分に、少し怨念のようなものを感じた。

歌詞)
でいごの花が咲き
風を呼び 嵐が来た

でいごが咲き乱れ
風を呼び 嵐が来た
繰りかへす哀しみは 島わたる 波のよう

ウージぬ森で あなたと出会い
ウージぬ下で 千代にさよなら

島唄よ 風にのり
鳥と共に 海を渡れ

島唄よ 風にのり
届けておくれ わたしぬ涙

でいごの花も散り
さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花

ウージぬ森で うたった友よ
ウージぬ下で 八千代ぬ別れ

島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
(*繰り返し)

島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を

海よ
宇宙よ
神よ
いのちよ
このまま永遠に夕凪を

意味)
災厄を告げるというでいごの花が咲き、(1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸した

でいごが咲き乱れる1945.4-6月に、寄せ引く波の様に、殺戮は繰り返された

サトウキビ畑であなたと出会い
(ガマ)鍾乳穴の防空壕で
君が代にいう永久の御代との別れ

島唄よ 風にのり
しびとの魂と共に 海を渡れ

島唄よ 風にのり
本土に伝えておくれ、沖縄の悲哀を

でいごの花も散る1945.6.23に
戦闘も終わり、宝より大切な命が散り、生き残っている者もあまりいない
日常生活は、簡単に消え去った

さとうきび畑で謡いあったあの人は防空壕の中で、戦闘によって死んだ

沖縄民謡よ、風に乗って
魂と共に、海を越えて
(あの人の居るニライ・カナイ=天国へ)

島唄よ 風に乗り
(ニライカナイへ)届けておくれ 私の愛を

海よ
宇宙よ
神よ(豊穣をもたらす)
いのちよ(何物にも代え難い命という宝よ)
このまま永遠に夕凪(平和)を(祈る)

やまとーんちゅが創り、喜納庄吉がそれを許可し、大切な何かに繋げる流れを作った。風に乗って海を越え、私はそれを中学生の頃に聞き、魂で受け取ったんだね。当時から、苦しんでいる人を理解したいという想いが強かった。

意識を向ける先は、弥栄。明るい方向。決して、闇落ちによる追体験によってカルマが解消され光に還るわけではない。むしろ、逆。この歳になって、それにようやく気がついた。過去の私はもがきまくっていたわー。長かった。。

人生かけてようやく統合された。これが私の悲願だったんだ。今まで生きていく中で、何度もそのサインは来ていた。加害者被害者の枠を超えて、もうしっかりと光に還していっていいんだね。

統合されてわかったのは、軽やかになった今、当の魂の視座で見ると、晴れやかにのびやかに羽を伸ばす感覚だということ。これがとても大切。そこに負のループはない。

カルマという考え方に囚われていた。宇宙のことわりではなく、生きている側が勝手に投影しているだけだったということを、改めて認識した。土臭い時代が終わり、すでに時代は転換期を迎えている。そういった見えない世界の感覚も新調していく必要がある。

でいごの花のおかげで気づくきっかけになった。この曲は、私にとっての課題曲であり、統合すべきテーマだったんだね。

本当の鎮魂とは何か、沖縄のおばあたちは絶対知ってるだろうなぁ。苦しみを分かち合うよりも、笑顔で楽しく!が平安を保つのに何より大切なことなのだと。そういう意味で、この曲は、やまとーんちゅだから世に出すことを許された曲、なのかもしれない。

国内で敵味方に分かれ、互いに牽制し合い闇堕ちさせている日本って、何なんだろう。長い歴史の過去起きたことを掘り出しては償わせる国、日本。怨念、恨みつらみの解消は、決して復讐の達成ではないのに。そんな国で、刀を床に置き、生贄として捧げても何の意味はないのに。罪悪感ばかりを背負い込んで生きても、奈落に落ちるだけなんだよ。誰も救えない。国内だけでなく、海外も同じ。

時系列を外して、今この瞬間に喜びを分かち合えますように。

本当の祈りとは、悲惨さを防ぐことではなく、安寧を味わうこと。

意識を向ける方向は、いつも明るい方へ。

それが本当の強さであるということを、私はむしろ、ウチナーンチュに教えてもらったよ。

戦いは終わり、一つのストーリーが幕を閉じようとしている。

全ての存在に、感謝を。

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一瞬の違和感

極度の暗黒は、地球のものではない???

本来のこの地球における木漏れ日の光に対応する影は、暗黒ではなく、日影

自然の光と影が本来の二極

暗黒に対応する光は、どぎつい光

それは、地球のものではないのだと思う

そういう話をした瞬間に、体の左半分がしびれ、話を遮られた

ということは、そういうことなのだろう

 

その意識体かエネルギー体には、光に還ってもらった

もう、あなたが出る幕はないから、光にお帰りくださいと

私は静かに光を下し、愛で包み込んだ

 

彼女自身の内側が、安心して眠っているのがわかる

ゆっくり休んでね

お疲れさまでした

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門をくぐった先にある音は・・・

どん底の暗い世界を歩いた経験は

決して無駄にならない

すべてを捨て、そばから離れ、失い、孤独になった経験でさえ

絶対的に何かと繋がっていて、それでも大丈夫なんだということを知るために必要だった

 

それすらも、愛の経験だったのだと気づいたとき

いのちが吹き込まれる

 

大切に、愛そうという

光が一瞬、輝く

 

絶望や虚無に垣間見る、一筋の光は

どんな明かりよりも、輝いて見える

 

それは、どんな音色だろうか

 

自分色の音を知りたければ、

暗闇の中にある門をくぐること

それが、闇という言葉の本質だと思います

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赤い花

これ、何の花だろう?葉っぱ?

一見、葉っぱの色が赤いように見えるけど

なんだか南国っぽい雰囲気

近くの人に聞くと、海紅豆(こうかいず)、別名、デイゴの花だそうだ
空の青と、海の青と映えますなぁ・・・。

ふと頭に曲が流れた

デイゴの花が咲き~風を呼び嵐が来た~♪

なんだっけ。島唄!
初めてデイゴの花をみた

教えてくれたマダムは、俳句のグループの方々でした
デイゴの花は、初夏の季語になっているのかしら

つぼみは確かに、豆っぽい。海の近くの紅色の豆。海紅豆。なるほど~そのままや。

 

島唄 作詞・作曲 宮沢和史 編曲 THE BOOM

でいごの花が咲き 風を呼び嵐が来た
でいごが咲き乱れ 風を呼び嵐が来た
繰り返す悲しみは 島渡る波のよう

ウージの森であなたと出会い
ウージの下で千代にさよなら

島唄よ風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄よ風に乗り 届けておくれ 私の涙 

でいごの花も散り さざ波が揺れるだけ
ささやかな幸せは うたかたの波の花

ウージの森で歌った友よ
ウージぬ下で八千代ぬ別れ

島唄よ風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄よ風に乗り 届けておくれ 私の愛を

海よ宇宙よ神よ命よ このまま永遠に夕凪を

島唄ぐゎ風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄ぐゎ風に乗り 届けてたぼれ わんくぬなだ(涙)ぐゎ

島唄ぐゎ風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄ぐゎ風に乗り 届けてたぼれ わんくぬ愛を

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