恥を最後に経験したのはいつだろうか。自分が選択したことが間違っていた時、病気になったとき、失敗したとき、挫折したとき。思いのほか、たくさんある。私の場合、周囲ではなく、自分との繋がりが断たれ自己不信に陥ったときに思いっきり恥を経験をしている。一方、他者との繋がりの中でも最近恥を経験した。多極化している現在で、同じ方向を進んでいると思っていた団体とかみ合わなくなり、はじかれたときのこと。未だ和解していない。
プライドをいかに捨てるか。それを知るための恥をかくという経験だったようだが、そのことが長い間理解できなかった。周りとの相違で何かショックを受けたなら、何が間違っていたのかを自問自答し、内省し続けていた。でも、なかなか答えが見つからなかった。それもそのはず。弱い自分を認めるだけでよかった。
人はみな創造主で主体性を持って生きていると知ってから、責任感からちゃんと正しいことをしないと、という感覚でがんじがらめになっていた。だって、独りよがりの創造主ほど滑稽なものはなく、下手したら北朝鮮のようになってしまう。それは嫌だもの。それを防ぐための善と智のラインであり、これまでの学びのはずなのだ。これが世界地図として、縦も横も、ズレることなく100の位置に一致していればうまくいくだろうと。でもそれって、すごい緊張感だし、時の支配者の発想だよね。独裁的な。これ以外は認めません、みたいな。そりゃあ、肩の力が抜けないはずだ。弱さを認めるだけでOK~♩という世界ではないのは間違いない。そんな世界を創造したいの??いやいや。
独りよがりのフェーズは既に終えていて、調和を保つにはどうしたらよいのかに焦点が当たっている。恥の度合いをそのままプライドの塊の大きさと捉えて外して、もっとラク~♬を現象化していきたい。これでいいのだ~。すでに全部あって完璧なのだ~。
過去の古い地球の反面教師をやめないとなぁ。未来の新しい地球に繋がらないよ。本当は過去の経験全部捨てちゃっていいのかも。特に、このプライドという周波数はかなり凝り固まった鉄の塊と化している。手放して、全く新しいものが入ってきますように。
